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デルカデルヨ(新橋)

いまさら言及するほどのことではないが、新橋は中年親父の街である。
政治ニュースなどがあると、街頭インタビューで新橋が使われることが多い。
そんな新橋は、今も昔もパチンコ激戦区であるといえる。

通常、パチンコというものは、持ち玉でどれだけ打てるかが勝負であるので、短時間勝負となると厳しくなる。
しかしそれを無にする遊戯ルールがある。それが等価交換だ。
等価交換となると、貸玉も持ち玉も同等の価値であるため、いつ打ってもいつやめてもほとんど問題にならない。

新橋はサラリーマンの街。したがってホールに客が訪れるのは夕方以降になるため、等価交換が好まれる。そして実際、等価交換のホールが多い。

かつて新橋に存在したデルカデルヨや夢屋も等価交換だった。
現在のホールでは、たとえ等価交換ルールでなくても持ち玉台移動が自由であることが多い。
しかし、デルカデルヨでは持ち玉台移動を厳しく禁止していた。自分も注意されたことがある。
そのように台移動を禁止しているのは、台ごとの出玉履歴の管理をしっかりやっている証拠でもある。

そんなデルカデルヨで自分が何を打っていたかというと、このブログでは再三再四書いているが、三共のピストル大名の現金機である。
一回の大当たりで、この当時の標準的出玉である2000個、等価で8kとなるので、8k投資がひとつの目安となり引き際が分かりやすいというメリットがあるにはあった。
ただ、等価であるということは、店舗が利益を出すには相当釘を厳しくせざるをえない。
良心的なホールで、割り数が20とすると、残りの8割の台は確実に負ける仕様となるのだ。

それでも、当時勤務地が新橋近辺にあった自分はデルカデルヨに通っていた。
昼休み時間の1時間だけ打つということもザラにやっていた、不良サラリーマン。

そして、自分が当時通勤していた会社を辞め、新橋に行かなくなると、知らぬ間にデルカデルヨは潰れていた。
うろ覚えの知識・記憶であるが、デルカデルヨはKPE(コナミパーラーエンタテインメント)の系列だったらしい。
コナミとは、いわゆるゲームの会社である。要するに、コナミがパーラー経営から手を引いた、ということだったのだろうか。

等価交換だと余り玉が出にくくなる。よって、当時、デルカデルヨで余り玉で不二家のギガというチョコレート菓子をもらうことが多かった。これは確か、パチンコ店にのみ限定で卸していた菓子ではなかったか。

今も、ギガを置いているホールはある。ただ、最近のパチンコのアタッカーサイズと同様、ずいぶんと小さくなった。
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花百景

Author:花百景
とある中年による趣味のブログです。
ネタは主にパチンコの昔と今、プログレなど。

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